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今月のBGM July 2021

2021年7月10日

小暑を過ぎ、夏本番を迎えました。皆様いかがお過ごしですか。
CRANKでは毎月店内BGMを西麻布にお店を構えるQWANG(クワン)のオーナ・バーテンダー長谷川さんに選曲いただいてます。店内では、「今月の3枚」というコンセプトで毎月ご紹介いたしております。

『From Natchez to New York』 Ole Dara

1998年、オル・ダラが57才の時にリリースしたファーストアルバム。オル・ダラは1941年にミシシッピ・ナチェズに生まれ幼少時からクラリネットやコルネットを始め、18才から4年間海軍に入る。海軍生活ではアフリカやカリブ、ヨーロッパに駐留して軍のジャズバンドとして各地の音楽に触れ多様な影響を受け、除隊後はニューヨークに移り住みアート・ブレイキーのバンドに参加した事をきっかけに以来30年以上様々なミュージシャンのバックでコルネット奏者またはギタープレイヤーとして参加しています。内容はタイトルが表すように、デルタ・ブルースからカリブ、アフリカ、ニューオーリンズ、そしてジャズといった多彩な楽曲がアルバムジャケットの写真と同じくとてもリラックスした雰囲気で録音されています。②はこの時期になると聴きたくなります。

『Cachaito』 Orlando “Cachaito” Lopez

キューバのベイシスト、オルランド・カチャイート・ロペスが69才の時にリリースした2001年のファーストアルバムです。

カチャイートは1933年にハバナで音楽一家の家に生まれ幼い頃からヴァイオリンやチェロなどの楽器に触れ10代の前半には家族のすすめもあって本格的にダブルベイスを弾き始めます。カチャイートの家系には叔父にキューバの伝説的なベイシストでありコンポーザーで「マンボ」を作ったと言われているイスラエル・カチャオ・ロペス、もう一人の叔父にキューバの国立シンフォニー・オーケストラなどで活躍したベイシストのオレステス・マチョ・ロペス達がいて彼らが家系からベイシストを絶やしたくなかった為カチャイートにベイスを弾くように仕向けたそうです。17才でキューバで最も人気のあった”ダンソン・マンボ”のオーケストラのメンバーになり鮮烈な歓迎を受けます。50年代には即興ジャズとアフロキューバンを合わせた音楽の誕生に関わり、これは後に60年代のニューヨークでのサルサの発信につながることになります。カチャイートの名前を世界に知らしめるきっかけになったのは、1997年にライ・クーダーがプロデュースした『Buena Vista Social Club』でした。

このアルバムでは50年代から60年代にかけて活躍したキューバの伝説的な歌手や楽器の演奏者達が集められ、ソンやダンソン、トロヴァ、ボレロなどの古典的なキューバ音楽を収めたアルバムで世界中でヒットしました。99年にはヴィム・ヴェンダース監督によってアムステルダムとニューヨークでのツアーの模様やハバナでの様子を描いた同名の映画が公開され大変話題になりました。ちなみにタイトルにもなっている「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ」はカチャイートの伯父のカチャオとマチャが1937年に作った曲です。


アルバム『Cachaito』では叔父達が作った古典的なキューバ音楽から彼が敬愛するジャズ、さらにはHip-Hopのアレンジまで音楽性の豊かさを感じると共にベイスを演奏するのが楽しくてしょうがないというようなメッセージに溢れています。このアルバムから8年後の2009年2月にカチャイートは76才でこの世を去りました。

『Noites Do Norte』 Caetano Veloso

カエターノ・ヴェローゾが2000年にリリースした作品です。1942年にブラジル・バイーア州で生まれ67年に同じバイーア出身のガル・コスタとのデュエットアルバム「Domingo」でデビュー。ビートルズなどのロックに影響を受け盟友ジルベルト・ジルらと「トロピカリズモ」と呼ばれる芸術運動を始める。この運動は次第に1964年にクーデターにより始まった軍事政権への反政府運動へも発展し遂に68年12月にジルと共に逮捕され約2ヶ月間収監されてしまう。翌年には釈放されるがジルと共にイギリスへ亡命し72年にブラジルに帰国するまで約3年をロンドンで過ごしました。帰国後の作品はアルバム1枚毎に異なる表現でときに難解ともとれる作品がありますが、常にあるのは故郷バイーアへの回帰のようなものをどこかで感じます。21世紀の幕開けに登場したこのアルバムではアフロ・ブラジリアンのルーツを持つ自身のアイデンティティ(バイーアは砂糖やコーヒーの生産の為300年以上続いたブラジルでの奴隷制度の始まりの地でもあった)とロックンロール、映画やアートへの愛がつまった作品で自身の息子であるモレーノや他の若手ミュージシャンを多く起用した未来のブラジルへのポジティブなメッセージでもある名盤です。