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今月のBGM February 2022

2022年2月17日

CRANKでは毎月店内BGMを西麻布にお店を構えるQWANG(クワン)のオーナ・バーテンダー長谷川さんに選曲いただいてます。店内では、「今月の3枚」というコンセプトで毎月ご紹介いたしております。

『Pretzel Logic』 Steely Dan

スティーリー・ダンが1974年にリリースした3rdアルバムです。1967年の秋にニュー・ヨークにあ るバード大学に入学した一人の青年、ウォルター・ベッカーが部室でギターを弾いていたらその 音に惹かれてやって来たもう一人の青年ドナルド・フェイゲン、ともにジャズを聞いて育った二人 は意気投合して一緒に曲作りを始めることになりました。当初は他のアーティストへの楽曲を提 供することを想定して活動を始めましたが、フェイゲンが作る難解な歌詩と当時流れていたどの音 楽とも違うことから、殆どオファーされることが無くとうとう自分達でメンバーを集めてバンド を作り1972年に『Can’t Buy A Thrill』でデビューします。結成当初からライヴ演奏よりもスタジ オでの音作りに重点を置いた活動は他のメンバーの理解はなかなか得ることが出来ず、この3作目 の本アルバムの制作後にはベッカーとフェイゲン以外のメンバーは去っていきました。デュー ク・エリントン作の5曲目以外全て二人の楽曲で構成された本作は、前2作よりもジャズやブルー ズへのアプローチを感じる内容で6曲目はチャーリー・パーカーに捧げたポップなナンバーです。 グループ最大のヒット曲となった「Rikki Don’t Lose That Number」は大学時代、あるパーティー でフェイゲンが出会ったリッキ・デュコーネットという女性のことを歌っていて、彼女はその時 すでに結婚していましたが、フェイゲンは自分の電話番号を紙に書いて彼女に渡しました。残念な がら彼女から連絡はありませんでしたが、それから数年後にこの名曲が生まれました。

『Song For My Father』 The Horace Silver Quintet

1950年台後半から70年代にかけてブルー・ノートに数多くの作品を残したピアニスト、ホレス・ シルヴァーが1965年にリリースしたアルバムです。64年2月にそれまで約5年間共に過ごしたクイ ンテットを解散したシルヴァーは単身ブラジルに向かいまだブレイク前のセルジオ・メンデス宅 に宿泊しそこで本場のサンバに触れました。地元のミュージシャンとセッションしたり、カーニ ヴァルを見たりして過ごしているうちに以前父親から言われたことを思い出します。シルヴァーの 父親は北西アフリカの島国カーボベルデ共和国出身で(15世紀から1975年まではポルトガル領で 音楽的にはアフリカやブラジルの影響を受けている)以前父親から故郷の音楽とジャズを組み合 わせてみてはどうかと言われたことでした。アメリカに戻ったシルヴァーが新たなクインテットと 共に録音したのが『Song for My Father』です。「ホーンのような右手、ハンマーのような左手」 と言われたシルヴァーのピアノとテナー・サックスとトランペットの2管を常にフロントに置いた 彼のグループはファンキーの一言で到底表すことが出来ない格好良さがあります。コンポーザーと しても最高でつい口ずさみたくなるようなメロディーはいつ聴いても新たな発見があります。4曲 でテナーを吹いているジョー・ヘンダーソンのちょっと硬派な感じのプレイもとっても良いです し、解散前の黄金のクインテットと言われたメンバーとの未発表音源もアルバム・ジャケットの シルヴァーの父親の写真もご機嫌な1枚です。

『Axis: Bold As Love』 The Jimi Hendrix Experience

ショップのBGMにはどうかと少し悩みましたが、1年で最も早く終わってしまう2月ならいいかと 思い紹介することにしました。ジミ・ヘンドリックスが1967年にリリースした2ndアルバムです。 圧巻のギター・プレイはもちろんですがそのソング・ライティングと創造的な詩、ヴォーカルの才 能が炸裂した12曲(他1曲はベイスのノエル・レディング作でヴォーカルもノエルが担当)。 1970年に27才で死んでしまったから50年以上経ちますが今もその輝きは何ひとつ失せることな く、「Little Wing」のイントロを聴くたびに、こんな出だしで始まる曲があるのかと毎回どうし ようも無く感動するのです。